コミュニケーション

moviva22006-11-28

『アートディレクター 佐藤可士和さん』
私のもっているdocomoの携帯N702iDをデザイン、プロデュースした人。スッテプワゴンの広告、CDのジャケット、発泡酒のデザインなどを手がけ、商品のヒットに貢献している。

◆どんなこともコミュニケーションと考える
ある商品の持つコンセプトを消費者に伝える。コミュニケーションだ。デザインは商品のインターフェイス(消費者の目に触れる部分)だから、コミュニケーションの入り口といえる。その商品の伝えたい部分を包装するのではなく、むしろ裸にして本質をつかんで形を伝える。その本質がハッキリしないと、数ある広告の中で埋もれてしまう。繕っているのが一番弱いし、カッコ悪い。本質をつかむことがコミュニケーションの仕事=デザインの仕事。


プロのバレエダンサーが舞台で踊ること、引退して次世代を育てる仕事をコミュニケーションとすれば・・・

・舞台に立つバレエダンサーの観客へのコミュニケーション。(パートナーや共演者とのコミュニケーションも考えられるが、ここでは置いておいて・・・)まずビジュアル。佐藤さん流にいえば「一番外側の外見というのは、“一番外側の中身”クラシックバレエのキャラクターの本質を打ち出す、インパクトのあるビジュアル。茂木氏の言葉を借りれば「本質を“見る”想像力、“見せる”創造力」立ち振る舞い、一挙一動ですべてを表現する。

・指導者となってからのダンサーの役割。それはまだまだコミュニケーション能力の乏しい子供たちに、言葉で補い、近いところで自ら体現して示すことだと、私は思う。バレエの本質を子ども達に伝承していく。見えないものの伝承だからこそ、引退前はトップとして活躍していたダンサーが、磨き上げられた身体でのコミュニケーション能力を生かして指導するのだ。


佐藤さんは「新しい視点」と「新しい価値」を提示していきたいそうだが、それはとても高いハードルである。自分が良いと思うことが一番難しくて、ハードルが高い。それを努力して超えていくのがプロフェッショナルだという。バレエダンサーの設定するハードルとは?それはきっと、自分の考えたコンセプト(踊りのor作品の本質)をどれだけ観客に伝えられ、感動させられるかだと思う。自分なりの解釈、持っているものを踊りで伝えようとすることがダンサーにとって一番高いハードルではないか?やはりコミュニケーションの問題になってくる。“ダンサーは多くを語ってはいけない”的な言葉・・・・・どこで読んだんだっけ?





◆感性と論理の関係
感性やセンスの問われる仕事で、しかもトップのアートディレクターともなれば、かっこつけた、押しの強いイケイケの人物が想像される。しかし茂木氏の印象は“シャイで慎重。どこか懐かしい、安心できる感じさえした”と。私もバイトで一卓が全員、代表取締役!みたな時があるが、そういう卓ほどみんなとても丁寧で「ありがとう」と言ってくれる。佐藤さんはコミュニケーションの仕事のなか、相手を受け入れて把握し、感性やセンスだけに頼らず分析する。クリエーターorアーティストとしての自分を捨て、その商品やメーカーにとってなにが一番正しいのかを考える。当たり前のことだけど、美大出身だったこともあって、アーティストとデザイナーの違いがわからなかったそうだ。
芸術系出身だと、社会に対して自我を捨てていかなくてはいけないのは、なかなか出来ないことだとおもう。出来ることならあるがままで受け入れてもらいたい。今の日本は豊かだから、学生が終わっても、自分を貫きとおせる部分はある。でも、「面白い!」と思ったことも「なぜこうなんだ」と理由を突き詰めていくと、感性やセンスも論理的になっていくのだ。曖昧に見える感覚の背後にはロジックがある。プロフェッショナルとして、社会の目に触れるもののアベレージが必ず保てるように自分の思考を分析するのだ。


★【アベレージを保つ】ってプロフェッショナルの条件の一つだけど・・・バレエやっていて、いっちばん難しい。


話はすこしそれて、日本では「私はバレエやってます!!」みたいな・・・・イカニモって人が多い。プロでもないのにそういう風に見せたがる精神ってどうなの?なんかオモシロオカシイ。先生によっては「バレエのエレガンスは日々の生活から・・・」と子どもに教え込んでいるからなぁ。子どもはいいんだけどね、可愛いからvでも、いい大人でピンクでキラキラ〜☆みたいのもいる。それは自由なので止めてくれとは言えないけど。。。