メモ代わり

ペンギンがいた。

先輩が一人異動してしまい、だんだん仕事がふってきてます。
もうすでに容量オーバーしているので、仕事に侵食されないように気を張ってる今日この頃。」

そんな最近の仕事に“表彰”というのがあります。現場の人の士気を上げるため・・・というのはわかるのですが、、

事案?「お弁当を食べていた当社社員が、踏み切りに立ち往生した車を助けた」 →二万円
事案?「線路を歩いてた酔っ払いを保護した」 →二万円
事案?「川柳で佳作に入選した」 →二万円

きた事案を文章におこす仕事なのですが、文章が苦手な私のこと、うっかり劇的に書いて修正をくらいそうです☆(社長まで回る文章なのに・・・)
正直「え?こんなことで(苦笑)」とか思いながらやってます☆



さて、今日は東京藝術大学美術館で開催されている 『鉄道のデザイン展』 なるものにいってきました。(Aボーイ気味の弟と)
“企業とデザイン”
電車、鉄道という固い反面、JRは好きな企業ランキングでも上位にいる。
好感をもてる、というのはやっぱりデザインとか演出の力で“おもてなしのデザイン”なんだって。


ステーションルネッサンスディスカバリージャパン・タッチ&ゴー
駅・車両デザイン、駅・車両インテリアデザイン、路線カラーデザイン、CM、ポスター
デザイン学科の人ってこういうことを勉強していたんだ・・・と思った。

新幹線の色は、“日本の伝統的な配色美重ねの色目をもとに現在から未来へとつながる調整を施し、
体として優美な和名をベースに、全体として優美な和名をベースに命名した色なんだって。
嘘のような本当の後付のような話だ☆
大興奮でした。Suicaがいたから楽しかった♪



鉄道のデザイン展→http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2007/jr/jr_ja.htm
さかざきちはる→http://www.kanshin.com/keyword/540596
絶対いきたい→http://www.railway-museum.jp/top.html

バレエ=職業=車・新幹線

質問の最後のあたりで

私「日本もバレエが職業として成り立つ日がくるといいです。」

先生「そうね・・・。でも、日本は車がいいわよね〜」
!!!
日本人にバレエが無理といっているのではなくて、【車】と【バレエ】を並べてくれた!!軽く“非日常バレエから新幹線まで”が立証された気がしました。

バレエに対してのすごく高い意識。バレエが好きなこと、人生であること、職業であること。

書き始める前に

今、思うこと。
バレエのプロは、バレエを文化または芸術として尊重し、責任を負っている。
他の職業と並べても代わりのないプロ精神がある。
バレエを仕事にするには日本ではまだ難しいが、尽くせる手はある。もつべき精神がある。


今度、元ダンサーでロシアの教師資格をもった先生に聞くこと。
私はバレエのプロとして続けるならば、きちんと踊れないことは問題外だし、バレエに対して失礼と思うようになった。
自分の中に強くバレエは「こうだ!」と思うものが大学に入ってから生まれた。
先生はそんなプロには遠い中途半端な私達にも、すごい情熱を持って教えてくれる。
きっと「仕事だから。」という気持ちだけでは、2年間も独りで日本にはいれないと思うし、あんなに粘り強く教えてはくれないと思う。

1.先生は職業として、またそれ以上にバレエに対してどんなこと(情熱)を思っていますか?先生にとってバレエは何か?

2.先生は以前、「稽古は喜んでするものです」とおっしゃったが、プロダンサーはレッスンにどのような気持ちで取り組むべきなのか?

3.子供達はプロとしての心構えをどうやって学んでいくのか?

題名。

題名改。
【仕事としてのバレエ】
仕事としてバレエを踊ること、教えることについて。
そのプロフェッショナル精神にふれる。


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*--*-*-*-*-*-*-***-*-*-*-*-*-*-*-*
【バレエ(ダンサー・仕事)という仕事】〜プロフェッショナル精神について〜
◆芸術家という領域、サラリーマンという領域
◆どっちにしても、プロであるその心意気
◇人柄、性格の分析(未定)


◇3番目はできるか未定。


《問題点》
[1]“日本で芸術家(バレエ)が職業としての成立を目指せるか?”その反面、“趣味・習い事としての広がり”についての問題。
今の中途半端な現状。加えては、[2]働く事の意義が見えない今(ニート、転職、やりがいのある仕事)の問題。


《観点》
以前掲げた、非日常の演出〜祭りから結婚式から新幹線まで〜
と、いうのはバレエを非日常と捉えても、職業と捉えても、祭や新幹線と同じ次元で考えられるということを証明したかったんだと思う。


《提案》
バレエダンサー達の高いプロ精神と、他の職業との通じる部分は?違う部分は?
これを調べる事でバレエの芸術性もより見えてくし、社会におけるバレエのポジションも見えてくる。
まだ少ないけれど、いろんな職業の人の話から、仕事の心構えを知ることができてきた。
バレエを続けるにしても、サラリーマンになるにしても、職業を持つならば、社会人として働くならば、持たなくてはいけない心構えがある。『プロフェッショナルな心意気を持つ』自覚と情熱を!アツク、祭りを!!


《目次》
1、稽古場 子ども時代

2、舞台  現役

3、踊らなくなったら 指導者

4、習い事としての今の広がり

5、職業、芸術家



     

プロフェッショナルに学ぶこと3

moviva22006-12-11

『映画プロデューサー 鈴木敏夫さん』
言わずと知れた、スタジオジブリのプロデューサー!映画プロデューサーとは、企画から予算調達、アニメーターなどのスタッフ集め、そして宣伝戦略まで、いわば映画の始まりから終りまでの全ての責任を負う総責任者だ。千人もの人が関わる映画作りを「祭り」にしてしまう。

この「祭り」というところからも、仕事を非日常のようなものに変える仕事流儀は、私の最初にやりたかったテーマだ。
鈴木さんはプライベートと仕事の境界線を引かない。忙しくて引けないというより、「すべての時間を仕事に注ぎ込んだときに、そこでしか得られない喜びがあるから。」というからだ。バレエに向かうときもそれがベストなのだろうか?こういう情熱の持ち方もあるのだ。


◆ダンサーの個人主義主張とは?
また、鈴木さんは「感性」というものも当てにしていないし、自分という「個人」も信じていない。自分が生み出すものなんて、たかが知れていると思っている。
どんな人でも、自分にはないものを持っている。集めていったら、ものすごい力になるはず。
たしかにその通りだし、私はこの言葉が大好きだ。
時代の空気をつかむ、とか、お客さんが必要としているものを考えるとき、「最も信頼のおける情報源は、自分から半径3メートル以内」と鈴木さんは考えているそうだ。自分に身近なところで人を感じて、その人の後ろにあるもっと沢山の人々に作品を届ける。
しかし、古典のクラシックバレエはどうだろうか?以前に挙げたリゾート再開発の星野さんと同じで、やはり周りとの関係性重視だ。バレエダンサー一個人としては、これではダメなのではないか?
「時代と向き合う」ことが映画を作るテーマで、そこにクオリティをプラスして「うまく作る」と普遍的になる。しかし、「人間には時代によって変わらない普遍的な性質がある。」と茂木さんはいう。古典といわれる作品には、長い時間を経ても色あせない価値がある。クラシックバレエはまさにそれ。人々が受け入れ易い【物語と美しい絵】という根底はできあがっていて、感動の要因は用意されている。クラシックバレエを踊る時は「(時代と?)その普遍的な性質」にダンサーと振付家が向き合うのだ。「時代を読む」のではなく「解釈を加える」それが個性的で芸術なのだと思う。

だが、人に意見を求めないというのは、個性を追求するのとは違うと思う。自分と他人の折り合い・・・ここら辺が知りたいところ。答えが出せないところ。書かなくてはいけないところ!!



☆こんな努力考〜鈴木敏夫さん流〜
  1.目標を置いて、それに到達すべく努力を重ねる人。
  2.目の前のものをコツコツやっていったら、あるところへ出ちゃって、どこへ行くか分からない 人。
両方あって良いらしい。鈴木さんは2らしく、目標を持つのが苦手な人はこっちを試してみるといいらしい。


つづく

参考:茂木健一郎NHK「プロフェッショナル」制作班 (編集)『プロフェッショナル 仕事の流儀』より

プロフェッショナルに学ぶこと2

WHOメディカルオフィサー  進藤奈邦子さん』
鳥インフルエンザ」や「SARS」などの新種の病原体の感染爆発を食い止めるために、自ら現場に飛び込み、命を危険にさらして戦うWHOの職員。最前線に立ち、目に見えない病原体と闘う。

「何のために働いてるのか、改めて考えてみると、[命]ですね。自分の胸の中にある“何か”が、行け!走れ!っていうんですよ。
「自分の胸の胸の中にギュッと詰まったものが、私を動かす。」
「専門知識や専門技能というものは、人間に与えられたギフトだと思うので、それは使わないといけないでしょう。」
「生まれてきた以上は周りの人を幸せにできるような人間になるようにと、子供たちに言っている。」


◆使命感をもつこと
進藤さんは外に自分の能力を発揮すること、そのための常人には考えられないパワーをもっている。人間の本能に眠っているような力。命懸けまでとはいかないまでも、バレエのプロならば、自分がバレエを世の中に対して踊っていることor長い伝統の一端を担っていることを忘れてはいけないと思う。これは、現在の世界的プリンシパル達も小さい頃からバレエを敬愛して育ち、クラシックバレエ界の発展に尽力しているし(←という予想なので立証する文献を探さなくては)、新たな作品もクラシックバレエを基盤としている(そうする意味を述べてる振り付け家を探す)ことからも、見て取れる。究極、バレエのプロとは、バレエの活動をすることで、世の中に存在が認められる人のことである。




『塾・予備校英語教師 竹岡広信さん』
東大生から「人生を叩き込まれた」と絶賛される授業。多くの苦難を乗越えてたどりついた指導の極意を手に、ひたむきに、誠実に生徒に向き合う。

◆導く力 〜ごまかさず、真剣に生徒に向かい合う姿勢。生徒を信じて、すべてを教えない。辛抱。〜
竹岡さんの言葉で指導者の責任を重く感じたものがある。

方法論が間違っていて、方針のない情熱は、結局自己満足に過ぎないと思います。ただそのことに誰も気づかないんです。生徒も気づかないし教師も気づかない。たぶん先生も生徒も、誰もが、落ちたのは[生徒が勉強していないから]だと思っちゃうんですよね。これは難しいことです。この世界は、ある結果がでたときに、何がその結果を導いてしまったのかがわからない。だから先生が悪くても、それがバレないんですよね。
※責任は教師にある!っていう親もいるけど。v.s親は、今は置いとく。信頼されていること前提で。


バレエの技術と芸術性を伝える教師は、実は、いくらでもごまかせて、それで通せてしまう。これが大問題。
“まる、正解”がない。正解は教師の中にある。技術のすべてを理論で生徒に詰め込むことは簡単だが、バレエは抽象的なイメージを身体で、時には言葉で補って、生徒の中に“めざすバレエ像”をイメージさせなくてはいけない。超難易度が高い。だから、バレエ教師はより情熱を持って、ごまかさず、真実を生徒達に示し続けなくてはいけない

教えるということは独り立ちさせること。生徒が進みだすように手伝うこと。理論でない「自ら進んでいく」といった感情や精神を育てるとき、そこに必要なのは向き合う先生の真剣さ。または情熱とか。
「今の子は・・・と口にする大人。子供は大人を見て育つ。怠けているのは大人ではないか?」
と、竹岡さんは言う。態度や精神、子供は大人のすべて見ている

※この場合は学生、子供に対しての話だから、大人から大人へは今は置いておく。




◆続けること〜がんばり〜
受験勉強の精神(がんばり)。やったという実感。自分も周りも苦しい時「自分はやりきった」という達成感と自信。その経験が人生の役に立つ。『習いごと』はそこ止まりのものだ。だから『習いごと』として集まった人には、ある程度の達成感をもってもらう
そしてそれ以上へ・・・。ただの達成感で終わらない精神。

塾講師の竹岡さんの言葉をかりれば
「ハードルを高く持つ人がプロフェッショナル。学び続けることは、最後は好きか嫌いか。好きだったら、ハードルを高くても苦しくない。そのハードルをごまかさないこと。」
左官職人の挾土修平さんは、
「習って続けてきたもので、もっと新しいものを生み出す人、何か一つを続けている人がプロフェッショナル」
と言っている。自分を厳しく律するだけでなく、他人、周りの人に還元できていく人がプロフェッショナル!自分の持っているもので他人と向き合えるのがプロフェッショナルだと思う。
バレエダンサーの場合他人と向かい合うのは舞台の上。相互距離の長い、一方通行空間。バレエダンサーの頑張りとは“習ったこと(身につけたこと)”を100%出すための・・・稽古を続けること!!自分の中で完結する稽古をしてはいけないのだと思う。
それがバレエダンサーの続けること=がんばり。辛っっ!!!