非日常と社会

今日のイデポップ氏の発表を聞いて、私も自分のテーマに合わせて考えてみた。




1.日の目を見ない非日常の立場
日本には沢山の劇団※があって、ほとんどが無名で経済的にも苦しい。
(※ここでは例として。個人でやっている非日常的なこと。またはサブカルチャー、趣味、習い事などもある。)
でも、自分達の好きな事を追及している。面白いこと、受け入れられるものは人によって様々だけど、社会の中で認知される劇団はやっぱり大衆にウケたもの。
そうならない劇団の方が圧倒的に多い。演劇に関わる人で、やはり金銭的に苦しい人は多い。
では、国からお金をもらって成立してる劇団がすべて面白く、大衆が好んで観にいくものばかりかと思うとそうでもない。

面白いこと、って誰が判断するの?
逆に誰に対して表現してるの?



2.どうして存在するのか、社会に表立っているものとは、ビジネス?
『フランスではアートが認められている。国民の中で高い位置にある。』という発言に対して、先生が話してくれた事だけど、フランスではアートが国家の財産である。そしてお金になると知っている。日本もしっかりお金をつぎ込んでいる・・・ハズなのに芸術がそこまで根付いていないのはなぜ?

お金はどこへ行ってしまたの?


ビジネス的な面も含めて、社会の中に認知され、大衆的に必要な非日常へと発展するのか。Forパブリック
独自の個性を追求して始めは自己→周りの人→大衆→社会へと変化するか。もしくは、ずっと自己近辺か。Forインディビジュアル!?
サブカルチャーと呼ばれるもの、アニメ、漫画などは日本が一番じゃないかな!?すごいビジネスチャンスなものの一つなのでは?と思うくらい発展している。まさかとは思うけど、フランスのように『国家の財産』社会の中に浸透してもよいもの。なぜなら“フランスファイブ”とかいってフランス人が真似するほどのもの。

私は非日常的なものをパブリックな方向へ向けていきたいのかも。



3.習い事制度の確立
今日のゼミでとても面白かった話。バレエでは国立劇場、そして私立の一流バレエ団がある。トップが固まりつつある中、その下のバレエ団、さらに無数の稽古場がある。プロはほんの一握り。それ以外の人はどうしているのか?近年では舞台に立ち、メディアに出る事の収入よりも、教師として教える事での収入の方が増加しているそうだ。つまりバレエに関しては、教授する人の多さによって、習うバレエ人口層は厚くなっているのだ。「それは先進国としていいことだ。」と先生も言っていたけど・・・・。
そのかわり誰にでも出来てしまうもの、メソッドのないものは習い事としての確立は難しい。
先生が「いつか演劇の通信教育とかやってみたい。」とおっしゃっていました。

習い事によって非日常に接する機会が増える事は望ましい。
日本のアートの認知はここから高まっていく可能性があるのかも。



4.逆に誰に対して表現してるの?
一番最初で疑問に思った事。
たまに、ぜんぜん面白くない芝居、意味のわからない絵、つまらない漫画に出くわし時間を無駄にする。
何を伝えたいのかよく分からない、良さがわからない、見方を知らない、味わえない。
「理解できないものこそ頭を使うから・・・イイんだ!刺激なんだ!!」たしかにそうだけど。。
日本舞踊は私達には(勉強しないかぎり)よく分からない。しかし、日本舞踊界としてしっかり確立されている。
イデポップ氏いわく、常客相手でしかない演劇が多いそうです。たしかに。新しくて人気を集めているもの、、タレントの出ている芝居、漫画の(テニプリとか)ミュージカル版、新たなバレエファンを開拓したKカンパニーとか。。