プロフェッショナルに学ぶこと2

WHOメディカルオフィサー  進藤奈邦子さん』
鳥インフルエンザ」や「SARS」などの新種の病原体の感染爆発を食い止めるために、自ら現場に飛び込み、命を危険にさらして戦うWHOの職員。最前線に立ち、目に見えない病原体と闘う。

「何のために働いてるのか、改めて考えてみると、[命]ですね。自分の胸の中にある“何か”が、行け!走れ!っていうんですよ。
「自分の胸の胸の中にギュッと詰まったものが、私を動かす。」
「専門知識や専門技能というものは、人間に与えられたギフトだと思うので、それは使わないといけないでしょう。」
「生まれてきた以上は周りの人を幸せにできるような人間になるようにと、子供たちに言っている。」


◆使命感をもつこと
進藤さんは外に自分の能力を発揮すること、そのための常人には考えられないパワーをもっている。人間の本能に眠っているような力。命懸けまでとはいかないまでも、バレエのプロならば、自分がバレエを世の中に対して踊っていることor長い伝統の一端を担っていることを忘れてはいけないと思う。これは、現在の世界的プリンシパル達も小さい頃からバレエを敬愛して育ち、クラシックバレエ界の発展に尽力しているし(←という予想なので立証する文献を探さなくては)、新たな作品もクラシックバレエを基盤としている(そうする意味を述べてる振り付け家を探す)ことからも、見て取れる。究極、バレエのプロとは、バレエの活動をすることで、世の中に存在が認められる人のことである。




『塾・予備校英語教師 竹岡広信さん』
東大生から「人生を叩き込まれた」と絶賛される授業。多くの苦難を乗越えてたどりついた指導の極意を手に、ひたむきに、誠実に生徒に向き合う。

◆導く力 〜ごまかさず、真剣に生徒に向かい合う姿勢。生徒を信じて、すべてを教えない。辛抱。〜
竹岡さんの言葉で指導者の責任を重く感じたものがある。

方法論が間違っていて、方針のない情熱は、結局自己満足に過ぎないと思います。ただそのことに誰も気づかないんです。生徒も気づかないし教師も気づかない。たぶん先生も生徒も、誰もが、落ちたのは[生徒が勉強していないから]だと思っちゃうんですよね。これは難しいことです。この世界は、ある結果がでたときに、何がその結果を導いてしまったのかがわからない。だから先生が悪くても、それがバレないんですよね。
※責任は教師にある!っていう親もいるけど。v.s親は、今は置いとく。信頼されていること前提で。


バレエの技術と芸術性を伝える教師は、実は、いくらでもごまかせて、それで通せてしまう。これが大問題。
“まる、正解”がない。正解は教師の中にある。技術のすべてを理論で生徒に詰め込むことは簡単だが、バレエは抽象的なイメージを身体で、時には言葉で補って、生徒の中に“めざすバレエ像”をイメージさせなくてはいけない。超難易度が高い。だから、バレエ教師はより情熱を持って、ごまかさず、真実を生徒達に示し続けなくてはいけない

教えるということは独り立ちさせること。生徒が進みだすように手伝うこと。理論でない「自ら進んでいく」といった感情や精神を育てるとき、そこに必要なのは向き合う先生の真剣さ。または情熱とか。
「今の子は・・・と口にする大人。子供は大人を見て育つ。怠けているのは大人ではないか?」
と、竹岡さんは言う。態度や精神、子供は大人のすべて見ている

※この場合は学生、子供に対しての話だから、大人から大人へは今は置いておく。




◆続けること〜がんばり〜
受験勉強の精神(がんばり)。やったという実感。自分も周りも苦しい時「自分はやりきった」という達成感と自信。その経験が人生の役に立つ。『習いごと』はそこ止まりのものだ。だから『習いごと』として集まった人には、ある程度の達成感をもってもらう
そしてそれ以上へ・・・。ただの達成感で終わらない精神。

塾講師の竹岡さんの言葉をかりれば
「ハードルを高く持つ人がプロフェッショナル。学び続けることは、最後は好きか嫌いか。好きだったら、ハードルを高くても苦しくない。そのハードルをごまかさないこと。」
左官職人の挾土修平さんは、
「習って続けてきたもので、もっと新しいものを生み出す人、何か一つを続けている人がプロフェッショナル」
と言っている。自分を厳しく律するだけでなく、他人、周りの人に還元できていく人がプロフェッショナル!自分の持っているもので他人と向き合えるのがプロフェッショナルだと思う。
バレエダンサーの場合他人と向かい合うのは舞台の上。相互距離の長い、一方通行空間。バレエダンサーの頑張りとは“習ったこと(身につけたこと)”を100%出すための・・・稽古を続けること!!自分の中で完結する稽古をしてはいけないのだと思う。
それがバレエダンサーの続けること=がんばり。辛っっ!!!