指導について

私はバレエ教室の助手なので、1クラスをもっているわけではない。これまで、先生の都合などでクラスを急遽担当した事はあったが、今日は丸々任されました。今日から年末までの3回・・・・どうしようかな。。今、書き途中なんだけど指導についての仕事流儀を読んで自分なりに考えた案をせっかくのチャンスなので実践しようと思う。
1.毎回のレッスンで達成感を持ってもらえるようにする。
2.伝えたいことを私自身が全身使ってみる(私が完璧なわけでもないが、子どもにできないことはがある)
3.バレエらしいレッスンにする。(うちのクラスはあんまりバレエっぽくないので)
4.出しおしみをさせない



どうなりゅことやら・・・・

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ん〜・・・・。楽しませることはできたけど、バレエのレッスンとしてはダメ。
ある程度、先生の形できまっているし、いつも以上のことはなかなかできない。先生見てるし。私はどんどんやらせて、いっぱい踊ってもらおうと思うのだけど、みんなやりきれていない。そういう部分を先生は口で説明するのだが、私は口のほうは、あまり。何が足りないのか、どうしても「こうだよ」と体が動いてしまう。総実で振り付けした時もそうでした。

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二回目
今日はしっかり順番を考えてく。どうしたら子供たちが一回のレッスンに集中し達成感を得られるか?
それを考えてシンプルに、でも一曲ごとにポイントを設定する。
タンジュは、足首より下をしっかり意識し、自分の足がどうなってるか意識。
ジュッテはリズム。ロンデジャンプは足全体を使って。ストレッチはバーに足を乗せて、いつもはやってない事に挑戦。フラッペは素早く。音が早くて動作が多い事はあまりやらないのでみんな必死。でも、やってもらうと意外とできる!一つ一つ、きちんと気をつけてもらうために、準備とかのカウントは余裕を持って振付ける。グランバットマンもシンプルにして、しっかり足を振り上げてもらう。
センター。タンジュ+ピルエット。大きいジャンプとピルエット。アントルラッセアレグロ。の、4つだけにする。
バーレッスンよりも踊りを意識してもらう。
タンジュはバレエの8つの向きと、ポーズの美しさに気をつけてもらう。中途半端な向きでなく、正しい形を繰り返させる。すると、いつもはバサバサしたピルエットに無駄な動作が減った。
皆の反応を見て、センターは見せ方を中心に進めようと思った。私も最初は一緒に踊り、それを先生が後ろから見ていて、技術面の注意を与えてくれた。先生の教え方は、美しい形を理論で説明するもの。私は自分自身ができないので、それを上手く説明できない。だから本人の一番と思う形にしてしまい、「もうちょっとこうじゃない?」てきなアドバイスしか出来ない。1から10まで知らないから、教えられない。
二番目の大きなジャンプはプレパレーションを重視し、舞台だと思って。見せる踊りをする。
アントルラッセ。いつもやるもの。でもいつもとみんな雰囲気が違う!「こうしたい!」という気持ちが見えた。だから私は「そうそう!」と言った。前に読んだ秘書検の本で、上手な意見の言い方として、1.まず相手の話に同意する。2.それから自分の意見を言う。とあった。これは人付き合いでも、とても大切なことだと思う。
最後は楽しい音楽で、早くて小さいジャンプの繰り返し。楽しそうに出来ました。
理論的な先生は成人科には人気、でも先生に寄っていかない子ども達(私が子どものときは先生にカマってほしがりだったが・・・)は素直すぎて、バレエを習っているのではなく、先生の考えを習っているという状態。ちびっこはバレエに寄ってくるべき。先生の中のバレエに惹かれて習うべき。
出し惜しみしないレッスン。ふだんから100%出し切らなければ舞台では本気は出せない。
次はもっと踊れるといいです。

方向

【バレエ(ダンサー・指導者)という職業】
1.芸術家という領域、サラリーマンという領域
2.どっちにしても、プロであるその心意気
3.人柄、性格の分析


ダンサーと指導者両方やるか?
日本で“職業としての成立を目指す”、その反面、“趣味・習い事としての広がり”についても書きたい。
今の中途半端な現状をどうするか?という問題。

ゼミメンバーの仕事の流儀

誕生日に奈緒と

仕事というか、卒論に対するそれぞれの流儀を感じたので、、すみません、書かせてください。。


tamaki7は今度、クリスマスに絡めてのプロジェクトを進めている。それを卒論に取り上げる。ケーキ屋の前でパフォーマンスをし、お客さんを集めるという企画で、自らあちこちの店舗に出向いて企画を提案し、交渉していた。そして、衣装も準備。koaranoma-chiの協力出演も得て、今日、ゼミのメンバーに全体の流れを見せてくれた。

小さい子が最初に出会う味覚“甘い”。甘い物好きにとってケーキを食べる時は至福の時であり、癒し、ご褒美である。しかも味だけでなく、見た目も華やかで、人を楽しませ、幸せにするために生まれてきたお菓子だ。


◆思ったことに素直であること
 で、tamaki7のブログの内容によるとクリスマスのダンス=ケーキになったようで、もとはケーキ屋の前という発想ではなかったらしい。私だったら場所が決まってからその場にあわせたダンスをするだろうけど、tamaki7は「こういう踊りで、こう見せたい!!」という所から入っている。以前のジプシーの時にも思ったが、tamaki7には人前で踊ることへの恥ずかしさがないというか、とっても楽しそうだ。ジプシーは上手くいかなかったけれど、噴水の前で自由に踊る彼女は素敵だったし、かなり目を引いていた。
 クラシックバレエの私が“良くない”と自分で思うところは、劇場や稽古場以外で踊るのには抵抗があるし、決まりに縛られて自由に踊れないところ。カッコつけになって、斜に構えてしまうところ。心から自分のパフォーマンスを見てもらえることを楽しめるTamaki7の素直さはすごいと思った。いつからそうだったのかは知らないけれど今も貫き通すそれが、色んな店舗にアタックしたり、時間を割いて準備できるパワーなんだと思う。これが社会でいう行動力とか、原動力なのだろう。貫き通す卒業論文!


◆小分けにして多方面の情報を蓄積〜切り替え、集中、活用のサイクル〜
 紆余曲折あったようだが、結果的に「ケーキ屋にしては?」と提案したのは。koaranoma-chiだそうだ。彼女は色んなイベントに参加しているし、この前のバルーンアートのプロジェクトは「!!」だった。そういう経験があるから、パフォーマンスの企画は得意なのかな?
 バレエ出身のダンサーだけど、芝居もやりーの、企画もやりーの、あと、誕生日のサプライズ企画とかも得意♪洋舞コースの代表やパイプ役もやってくれていた。「なんとかなるよ〜」といつも言っていて、いつもなんとかなっている。卒論も「出来る気がする。」と、言っていた。色んな分野を経験しているけど、それぞれ全部やりきっている。きっとそう言えるのは色々な経験があって、人とのつながりがあるからだと思う。一つずつやりきってきた経験?バレエだけやっていたらできない経験。(卒論についてはナゾだけど・・・)
「最近、よくダンスの話をするなー」と思っていたら、今日のkoaranoma-chiの立ち姿はダンサーでした。いつもより外股度があがっていたし。切り替わってイベントに集中していく時はすごいと思う。



◆あと、基本、振りが複雑で難しそうなところに「お!」って思った◎頑張ってください!!




なんか、ブログと今日の見学から書いたことだから、違う点があったら指摘してください。



そして、他のメンバーへつづく・・・
なんだか紹介文みたいになっている・・・・・
つづく・・・・

ことばという飛び道具

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12/2追加

なにが飛び道具かというと・・・、こう、ダンサーはしゃべりすぎはよくないと。
言葉という武器で守ったり、攻めたりしてはいけないと。。

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12/3追加

言葉とは感じ取ったもの(=感覚)を、アウトプットする(表出)方法の一番だとおもう。
コミュニケーションの一番!
誰でもできるし。
言葉って形はないけど、形を想像させたり、アタマのなかに形をつくることはできる。創造性がある。
だから言葉の芸術は多彩ですばらしい。人間が言葉でのコミュニケーションで進化してきたから、社会の中心は言葉。
社会は芸術を言葉で説明し→技術を取り出し、伝播して、発展させてきた。


バレエは言葉をとっぱらって、しかも観客と離れた舞台で表現する。コミュニケーションが難しい。言葉がない時点である意味、非日常。【言葉のない感動=言葉で説明できない】

その訓練においても、普通の人とは違う過程をふむ、非日常。
で、その訓練を受ける人は、普段の生活で言葉とどう関わるか?普通でいいのか?言葉の社会で普通に暮らすのか?



コミュニケーション

moviva22006-11-28

『アートディレクター 佐藤可士和さん』
私のもっているdocomoの携帯N702iDをデザイン、プロデュースした人。スッテプワゴンの広告、CDのジャケット、発泡酒のデザインなどを手がけ、商品のヒットに貢献している。

◆どんなこともコミュニケーションと考える
ある商品の持つコンセプトを消費者に伝える。コミュニケーションだ。デザインは商品のインターフェイス(消費者の目に触れる部分)だから、コミュニケーションの入り口といえる。その商品の伝えたい部分を包装するのではなく、むしろ裸にして本質をつかんで形を伝える。その本質がハッキリしないと、数ある広告の中で埋もれてしまう。繕っているのが一番弱いし、カッコ悪い。本質をつかむことがコミュニケーションの仕事=デザインの仕事。


プロのバレエダンサーが舞台で踊ること、引退して次世代を育てる仕事をコミュニケーションとすれば・・・

・舞台に立つバレエダンサーの観客へのコミュニケーション。(パートナーや共演者とのコミュニケーションも考えられるが、ここでは置いておいて・・・)まずビジュアル。佐藤さん流にいえば「一番外側の外見というのは、“一番外側の中身”クラシックバレエのキャラクターの本質を打ち出す、インパクトのあるビジュアル。茂木氏の言葉を借りれば「本質を“見る”想像力、“見せる”創造力」立ち振る舞い、一挙一動ですべてを表現する。

・指導者となってからのダンサーの役割。それはまだまだコミュニケーション能力の乏しい子供たちに、言葉で補い、近いところで自ら体現して示すことだと、私は思う。バレエの本質を子ども達に伝承していく。見えないものの伝承だからこそ、引退前はトップとして活躍していたダンサーが、磨き上げられた身体でのコミュニケーション能力を生かして指導するのだ。


佐藤さんは「新しい視点」と「新しい価値」を提示していきたいそうだが、それはとても高いハードルである。自分が良いと思うことが一番難しくて、ハードルが高い。それを努力して超えていくのがプロフェッショナルだという。バレエダンサーの設定するハードルとは?それはきっと、自分の考えたコンセプト(踊りのor作品の本質)をどれだけ観客に伝えられ、感動させられるかだと思う。自分なりの解釈、持っているものを踊りで伝えようとすることがダンサーにとって一番高いハードルではないか?やはりコミュニケーションの問題になってくる。“ダンサーは多くを語ってはいけない”的な言葉・・・・・どこで読んだんだっけ?





◆感性と論理の関係
感性やセンスの問われる仕事で、しかもトップのアートディレクターともなれば、かっこつけた、押しの強いイケイケの人物が想像される。しかし茂木氏の印象は“シャイで慎重。どこか懐かしい、安心できる感じさえした”と。私もバイトで一卓が全員、代表取締役!みたな時があるが、そういう卓ほどみんなとても丁寧で「ありがとう」と言ってくれる。佐藤さんはコミュニケーションの仕事のなか、相手を受け入れて把握し、感性やセンスだけに頼らず分析する。クリエーターorアーティストとしての自分を捨て、その商品やメーカーにとってなにが一番正しいのかを考える。当たり前のことだけど、美大出身だったこともあって、アーティストとデザイナーの違いがわからなかったそうだ。
芸術系出身だと、社会に対して自我を捨てていかなくてはいけないのは、なかなか出来ないことだとおもう。出来ることならあるがままで受け入れてもらいたい。今の日本は豊かだから、学生が終わっても、自分を貫きとおせる部分はある。でも、「面白い!」と思ったことも「なぜこうなんだ」と理由を突き詰めていくと、感性やセンスも論理的になっていくのだ。曖昧に見える感覚の背後にはロジックがある。プロフェッショナルとして、社会の目に触れるもののアベレージが必ず保てるように自分の思考を分析するのだ。


★【アベレージを保つ】ってプロフェッショナルの条件の一つだけど・・・バレエやっていて、いっちばん難しい。


話はすこしそれて、日本では「私はバレエやってます!!」みたいな・・・・イカニモって人が多い。プロでもないのにそういう風に見せたがる精神ってどうなの?なんかオモシロオカシイ。先生によっては「バレエのエレガンスは日々の生活から・・・」と子どもに教え込んでいるからなぁ。子どもはいいんだけどね、可愛いからvでも、いい大人でピンクでキラキラ〜☆みたいのもいる。それは自由なので止めてくれとは言えないけど。。。

ロシアのこと

今、レッスン受けている先生はワガノワを卒業したロシアの先生なんだけど、
この前、「マサーコ、レッスンは喜んでやるものです。(ロシア語で)」と、言われてしまった。
上手く出来なくて、ちょっと深刻な顔をしていたかもしれないけど・・・・。
楽しいし、面白いときもある。でも、そんなに常に楽しく稽古ってできないと思う。


“するべきこと=喜び”は、すごい原動力だと思う。



あと、通訳さんはロシアのことを勉強する大学生なのだけど、今日ちょっと話をしました。どうやら1年間、ロシアのサンクトペテルブルグに留学していたそうで、向こうでたくさんバレエを観たそうです。ペテルブルグはワガノワ・バレエ・アカデミーがある街、ほとんど国立のバレエ団だから4000円くらいでバレエが観られたそうです。彼女の卒論はエイフマンという振付家についてだそうで、ロシアのバレエに詳しい!で、私は食いついて、色々聞いてみました。



ほとんどが国立ということは、プロもたくさんいるということ。一流のボリショイとか、マリンスキー、レニングラードに入れても群舞の人、それ以外のバレエ団でプリマとして入る人・・・バレエ学校を18歳で卒業して自分はどうやって踊りたいかを決める。就活だ。それに知らなかったけど、バレエ団も思った以上にたくさんある!!つまり、すそ野はとっても広いのだ。しかも習い事としては、バレエは成立していないそうだ。ロシアではバレエ=職業(プロ)なのかも。ダンサーは踊りを辞めてから、指導資格をとるため2年間くらい勉強もするし、資格が取れてする事は・・・「お教室を開く」ではなく「バレエ学校、バレエ団の指導者として働き口を見つける。」とのこと。



で、日本とのあまりの違うので、聞いてみたら・・・
・日本の踊りや芸能は、たしなむもの(お金のある人の楽しみ)として発展してきたし、家で受け継がれてきた、特定の人間が出来るものとして根付いている。
ロシアバレエは才能さえあれば誰でも・・・という生産性のある仕組みだ。芸術に重きを置くか、置かないかの国々の根本的違いがある。



という見解でした。
トヨタでもプロフェッショナルでも言っていたけど、「人づくり」は最重要項目。次代のプロを育成する事ほどお金はかかるものなのだ。う〜む・・・。。



ワガノワって毎年落第がある。10歳過ぎそこそこの子にとっては心の傷にもなりかねない。きっとそこから別のバレエ学校に移ったり、辞めたりするのだろう。。楽しみでバレエを続ける事が叶わない国なのかな?
そういう人たちの心境や精神はどんななのだろう??
酷なことだったとしても、バレエという伝統を守っていくために必要なこと。パリ・オペラ座の校長も言っているし、それは世界各国のバレエ学校が負っている責務。精神、鍛えられるなぁ・・・・・

moviva22006-11-21

就活をしている時、自分にとって“アツイもの”が何なのか良く分からなくなってしまった時がある。それは、自分が今まで一番時間を割いて続けてきた事と、まったく逆の道に向いていたから。
「自分って結局なにができるの?」
と、思った。大学4年間が終わろうとしているのに、やっていたつもりで、何も出来ず、結果も出せていない。大学生活を楽しんでいるだけにみえた友達も、なにげに留学やインターン経験をしていて、それを生かした仕事に就いていく。ずっと立派に世の中を渡っていくだろうと思った。
そこで私はぐんぐん進んでいくその友達に「今、あなたのアツイもの、ツボってなに?」と聞いて回ってました。



▼「音楽」と、答えてくれた友達は洋楽が好きで、英語は授業でしか取ってないにもかかわらず、どうやらコミュニケーションがとれるらしい。しかも幼児教育科なのに声楽は声楽科並という特技の持ち主。ちなみにバレエもできます。
そんな彼女は【保育士】に内定しました。これは彼女の小さい頃からの夢でした。

彼女は特技で大好きな歌や、英語には向かわなかった。(多少ゆれたにしろ)そのかわり、【保育士】という夢を実現させ、好きなことに向かう時間が減ったとしても、『自分の出来ることを一生懸命やって生きていこう』と、思っているそうです。


▼「バイク」と、答えてくれた友達は旅行が大好き。それもバイクでの。「どうしてか?」と聞くと「自分でどこへでも行けるから」と。彼は【部品メーカーの技術職】に内定しました。バイクが好きになって、自然と興味を持つようになったそうです。

彼は理系で流体工学(!?)というものを学んでいて、コマツの建機を見学した時に友達になりました。機械の動く仕組みを語るときは、旅行の話をするのと同じくらい楽しそうでした。好きなことが仕事につながっていて、その先には趣味がある。。








『パティシエ  杉野英実さん』
子供のころお母さんの買ってきてくれた美しいケーキに見せられお菓子づくりの道へ入り、「ほかのどこにもない菓子」を作るパティシエになった。自分を喜ばせてくれたケーキ。だから自分も「人を幸せにする菓子」をめざす。
杉野さんが世界一流のパティシエになったきっかけを作ったのは、ホテルオークラでの見習い時代に友達に言われた「あなたには、何ができるの?」という言葉だそうだ。



◆自分らしさ〜周りとの差別化〜
バレエ学校をでた生徒がバレエ団に入りプロのなっていく。コールド(群舞)からソリストになれるか?
バレエを子どもの時から続け、身に付けたダンサーが世の中に出る。そして「あなたは、どんな踊りが踊れるの?」と問われる。はたから見ればバレエ学校を卒業しただけの技術があれば素晴こと
、しかし彼らにとっては卒業してからが自分探しなのだと思う。(学校時代から考えている人もいると思うが)

これと同じように、一流ホテルで働けることに満足していた杉野さんは、ホテルのパティシエの独りではなく「ほかのどこにもない菓子」を作るパティシエになりたいという壁にぶつかった。そして、それを留学という形で漕ぎ出した。
バレリーナも、自分の中からだけでは足りないと思ったら、外へ学びに出る。自分は何を面白いと思うか?センスは?キャラクターは?驚くことに、お菓子のレシピは、店が違ってもだいたい料理学校で習ったものと同じらしい。表現するパティシエによってまったく異なっていくものなのだ。踊りの基礎、そして古典の作品があるクラシックバレエのダンサーは、“どんな絶品スイーツを作るか”というところ。



◆プロフェッショナルと努力
杉野さんがたどりついたもの(面白いと思ったもの、極めたいと思ったもの)は「当たり前のことができたら、本当に美味しいものが作れる」ということ。完璧主義。しかし、100点満点ができて、それでお客さんが喜ぶ瞬間の甘みとか、幸せが彼に「この職業が天職だ」と言わせる。

自分の喜びが他人の喜びに繋がる仕事(職業)が究極だと思う。「常に誰かの期待に応えたいし、自分も満足したい。」しかし、杉野さんが海外で弟子入りできず苦労したり、慢性の腱鞘炎になっていたり、期待へのプレッシャーが押し寄せてきても、そこから逃げず、一つのことに努力できるのがプロフェッショナルだ。


前へ進むエネルギー=継続と進化となるのがプロフェッショナル

アスリートの場合

私は荒川静香さんが好きだけど、たまたま村主章枝さんのインタビューを読んだ。
彼女の滑りは表現重視で「こう滑りたい!!」っていうのが凄く強い気がする。そのせいで、スポーツ競技であるフィギアスケートでは負けてしまうんだろうなと思う。


バレエもフィギアも技が完璧に決まった時だけ拍手(点数)がもらえる。逆に表現は見る人によって評価が違う。どっちも必要だけど表現がなくてはバレエは芸術じゃない。村主さんもフィギアのそういうところが好きだといっている。





◎プライド考
「一流のアスリートでありたいと、いつも自分に鼓舞している。」
つまり、どんな時も、もちろん練習で自分に向き合うときも、普段からプロである意識をもつこと。
美しい踊りは(演技)は普段の生活から!?

〜自分のスタンスを貫く〜
「美しさは人によって感じ方が違う。それを点数化されることには疑問もあるが、競技をしている以上結果を出さなくてはいけない。私自身、全身全霊で挑んでいけば、いつか自然のパワーや観る方たちの気持ちを集結できるかもしれない。そのエネルギーこそが採点につながっていくと、今は信じられる。スケートが好きだということを証明したい。だからバンクーバーで金メダルを目指します。」



◎努力について
〜孤独と戦う〜
「孤独ですが、私には戦いの場で一人であることが重要だった。」
アスリートはだいたい、チーム一丸となってとか、サポートチームが協力して勝利を勝ち取るするとか、支えの影があるのが普通だ。しかし村主さんは独りも大切だと・・・。なぜなら、ケガも転倒もミスもすべて自分の責任だと考えるから。バレエも同じ。大人数で踊っていても責任は自分の中にある。


〜こうなりたいから〜
「自分の力で(金銭的に・社会的に)スケートできるようになりたい。」
バレエもフィギアスケートも子どもに習わせるには膨大なお金がかかるもの。村主さんも両親に支えられて学生時代からスケートを続けさせてもらってきた。やっぱり自立したいと思ったらしい。そう思うと奮起するもの。



◎モチベーション
〜スケートが好き、スケートから離れられない〜
村主さんはスケートに魅入られている。子どもの頃の夢→今、芸術と技術の連鎖その奥深さに惹かれている。好きで、尊敬しているから続ける。そして探求しつづける。
「氷とエッジが出会うことで、陸上では出来ないことが可能になるんです。ダイナミックなジャンプも、高速のスピンも、複雑なステップシークエンスも、すべては人間が氷という舞台に立ったからこそ実行できる。そしてその技の種類は何百何千とあり、本当に奥が深い。スケートは私を別世界に導き、心を高揚させてくれる。その楽しさは子どもの頃も今も変わりません。」
バレエとフィギアスケートの共通点は、子ども時代からずっと続けて10〜20代が花というところ。。これは他にはない特徴だ。


〜使命〜
社会とのかかわりとして、「フィギアスケートの裾野をもっと広げたい」と思っているそうだ。オリンピック選手ともなると、影響力もある。トップバレリーナは何を考えているのか?やはりバレエ界の発展、新しい芸術の発見、文化を担い、守る。と、それに触れる教育や、生活の豊かさか。



〜探求〜
「信じたことを証明したい。」
自分流を持つことは表現者として大切。しかし受け入れられるかは恐いもの。村主さんはそれを貫いて“世界最高の
表現者”と称されるようになった。間違った方向に行かなかった要因は何だったのだろう?
やっぱりフィギアスケート競技の中で、フィギアスケートが人を感動させる良いツボを知り、実際自分がそこを敬愛しているからなのだろう。





*参考*
2006.11 ANA機内誌 『SKYWARD』より アスリートインタビュー 文:小松成美


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追加12/10ザ・サンデーを見て
GPファイナルへの切符を手にした村主章枝さん。
「金メダルへの執念がなければ、私の芸術性の進化はなかった。」

彼女も機内誌の北島康介選手の
「(水泳を)好きなことを証明するためには金メダルを取るしかない。」
という言葉を読んで、自分がアスリートである以上、金メダルを目指すことで芸術と一体になれると心がきまったそうだ。好きなことを続ける執念。とても難しいことだけど、村主章枝さんは26歳の今それを証明しようとしている。浅田真央選手、安藤美姫選手がいるなか、色々な迷いを捨てて、最後は自分らしさで金メダルへ近づいていく・・・・すっごい心の強さだと思った。